サンギョーのおはなし

2007年6月 6日 (水)

エレベータがマジヤバい!





皆さん、こんにちは。ふじたやすしです。

 今また、「エレベータが危ない」と言われているようです。

エレベーターロープ破断 定期検査は有名無実|災害事故|社会|Sankei WEB

 またエレベーターのロープ破断が判明した。日本オーチス・エレベータの約5万基の点検結果がでたのと同じ日、国土交通省は日立ビルシステムが保守管理するエレベーター約15万基の緊急点検を決めた。昨年6月に東京都港区の都立高校生、市川大輔さん(16)がシンドラー社製エレベーターに挟まれ死亡した事故から1年。事故は教訓にされず、定期点検や報告がないがしろにされていた可能性があり、安全性への信用回復は遠い。

 エレベータと言えば、マンション住民の立場としては必須の設備と言えるでしょう。今でも、首都圏では高層マンション建設ラッシュが続いています。
 そんな中で起きた今回の事件。幸か不幸か、けが人や死者が出なかったから良かったものの、実際にそういう事態を招いてからでは遅いのは言うまでもありません。
 ところが、「そういう事態」が既に起きているのは上記記事にも、あるいは皆さんの記憶にもあるところのはずです。

 上記記事のように、エレベータのメーカやメンテナンス会社が責められることは避けられないでしょう。でも、ちょっと考えていただきたいことがあります。
 それは、メーカやメンテナンス担当者の人の現場での勤労意欲、作業意欲といったものが落ちてきているのではないか、ということです。

 経済がサービス化していると言われて久しくなります。そんな中、エレベータを製造したり、あるいは点検・保守をしたりする労働者は、ますますなり手が減っていることが想像されます。
 おそらく、そうした人たちの中には高齢の人もおられることでしょう。

 そういう労働者の皆さんの意欲をいかに高めていくかというのは、日本の経済、あるいは安全といったものを守るためにとても大切なことだと思うんです。
 そして、それがメーカやメンテナンス会社の重要な経営課題であるのは言うまでもありません。
 しかしながら、そうした企業の経営者は、過去に死者が出ているにもかかわらず、消費者の安全ということにあまりに無関心なのではないかと危惧されます。
 汗をかいて努力している、そして何か問題があったときは直接に、真っ先に非難される労働者の皆さんの苦労をご存知なのでしょうか。

 よく、問題を起こした企業のトップが、TV ニュースの場面で深々と頭を下げている絵を目にすることがあります。でも、「謝って済むなら警察は要らん!」という言葉どおりに、前もって対策を打っておけばこういうことにはならなかったはずです。
 今では、仮にもし製品やサービスに不具合があった場合、その事実を速やかに公表した上でリコールなり何なりの対応をする方が消費者の印象も良いという傾向が徐々に出てきています。

 企業経営者の皆さんは、消費者の本当の便益につき、今もう少しちゃんと考えていただけたらと思います。







2007年3月25日 (日)

引越しのお題 その2





皆さん、こんにちは。ふじたやすしです。

 お約束どおりに、引っ越しネタを2つめをば。

 皆さんは、引っ越しの際に「転送手続き」をされることと思います。そう、郵便局で扱っているアレですね。
 これがネットでできないのが、今の時代にありながら実に不便じゃないか、と思っているのは私だけではありますまい。

 そして、もう一つ重要なモノがあります。そう、クロネコヤマトの宅急便
 おそらく「宅配便」として並び称されるサービス(メール便も含む)の中でヤマト便が最右翼という仮定で話をさせていただきますと、ヤマト便の転送サービスも必要なんじゃないか、といったお話が nobilog2 さんのところに載っていました。

 う〜む、私もそう思いますよ。そこで、私は nobilog2 さんと違うアプローチをしてみました。

 ヤマト運輸の「お問い合わせ窓口」のページから旧住所と新住所を入力(ちなみに、新住所の方は入力必須となっています)し送信。
 そうすると、次の日に「転送申し込みを承りました」のメールが。
 やったぜ!ヤマト便の転送手続きは(いちおう)オンラインで完結しました。

 皆さんのご参考となるようでしたら幸いです。
 でも、郵便もヤマト便も転送手続きをするとしても、送付元への住所変更手続きがいちばん大切なのは変わりありませんのでご注意を。







2007年1月15日 (月)

ペコちゃんがかわいそうじゃん





皆さん、こんにちは。ふじたやすしです。

 実は、これが今年初のスマッチ!エントリになります。もうずいぶん出遅れたところを承知で、皆さんあけましておめでとうございます。
 今年が皆さんにとってより良い年となることを願っています。いや、本当ですから。

 お正月に京都の八坂神社で初詣、そして引いたおみくじが大吉!おみくじって、通常いろいろコメントが書いてあるじゃないですか(あれの正式な呼び方はなんと言うんでしょうね?)。その内容が良過ぎるんですよ。これでもか、っていうくらい。
 これは逆に、気を付けろ!(長井秀和ふう)ということなのかもしれません。

 昨年は、ライブドア・ショックで明けた一年でした。あれからもう一年経とうとしているんですね。月日の過ぎることの早さには驚かされます。少年老い易く学成り難し。いやあ、私はけして少年ではありませんがね。(笑

 学と言えば、1月の最初の連休は今通っている社会人 MBA の授業を名古屋で受けてきました。ですので、ここ数日の子どものおやつはういろうがもっぱらメインになっています。
 連休の名古屋はとても寒かったです。雪も降りましたし。まさか、今シーズンの初雪を名古屋で迎えるとはゆめゆめ思っていませんでした。
 名古屋は手羽先唐揚げがウマかったですね。って、それだけかい!?というツッコミはナシということで、そこんとこヨロシク。

 ライブドア・ショックの 2007 年版が「不二家ショック」でしょうか。なんでも、組織ぐるみで期限切れの材料の使用を容認していたとか。
 我が家では、ときどき妻が余った期限切れの材料を料理に忍び込ませることがあります(ぉぃ)。そうじゃなくって、不二家のある商品からは基準値を大きく超える量の細菌が検出されたと言われています。
 やっぱ、期限切れ材料はヤバいですよね。妻によく言っておかないといけません。(謎

 2006 年のライブドアや村上ファンドは、財務会計、あるいは金融面での不正が主な要件でした。
 財務会計につき、最近の企業社会でよく言われているのが「内部統制」です。簡単に言えば、決算報告までの諸手続きを文書化することを通じ、事務の透明性を確保するなんてことですね。

 でも、悪い言い方をすれば、財務会計なんて間接業務じゃないですか。もちろん、企業の株を売買する人にとってはそれが重要なのは言うまでもありません。私も株式取引をやりますので、そのへんはよくわかっているつもりです。
 しかしながら、企業が本当に大事にすべきなのは、その商品、あるいはサービスといった、つまり「売り物」そのものですよね。それがダメってんじゃ企業としては失格です。

 不二家ショックを見て思い出すのは、昔の「雪印ショック」でしょうか。あのときは、雪印乳業の商品を摂取して体調を崩した人が本当にいました。そして、当時の社長の「私だって寝てないんですから!!」というセリフが有名にもなりました。
 今のところ、不二家の商品を食べて身体を壊したという話は耳に入ってきません。しかし、今回のようなニュースが出てしまえば、風評も含めて企業業績に与える影響は計り知れないものがあります。
 そして、それが食品業界全体に波及するんじゃないかということも懸念されます。

 というのも、マンションの構造計算書偽造事件のときもそうだったじゃないですか。あれは私がマンション購入を決断した後の話でしたから、当事者気分で相当焦ったことを覚えています。
 もし私が購入決断前にあの事件の話を聞いていたら、マンションを買おうなんて到底思わなかったことでしょう。

 今でこそ、マンション需要は回復したと言われています。私も今のマンションには満足しています。でも、雪印にしても構造計算書偽装がらみの人々にしても、対応のマズさが印象に残りました。
 そして、今回の不二家へとつながってきています。まったく、過去の事例で何度も学ぶ経験があったはずなのに、企業って連中はいったいぜんたい何を考えて行動してるんでしょうかねぇ。
 バレなきゃいいって、子どもじゃないんだから。

 企業の利害関係者のことを「ステークホルダー」と言います。主なところでは債権者(銀行など)、株主、取引先などが挙げられます。
 でも、そこの商品やサービスを買い、そして利用したり嗜好したりする人たちも立派なステークホルダーですよねぇ。不二家のシュークリームのファンの人がこれからそれが食べられないとなると、やっぱり悲しいじゃないですか。

 ということで、企業って信用ならん!と消費者に言われるような行動はいいかげんつつしんでもらいたいと思うところであります。バレなきゃ大丈夫なんて思ってるところがまだあるのなら、早々に改めた方がいいですよ、ね。
 まったく、内部統制もへったくれもありゃしねぇってモンです。







2006年9月22日 (金)

スマッチ!スタッフの皆様、お疲れ様です。





皆さん、こんにちは。ふじたやすしです。

 さて、スマッチ!編集部さんのエントリにもありましたが、ここのところスマッチ!の調子がいくぶん優れないようです。
 でも、こんなときに対策を講じてくださっている編集部の皆さん、そして技術スタッフの皆さんには本当に頭が下がります。
 私も Web 系の技術者をしていたことがありますので、Web の調子が悪いときに肝を冷やす気分は実に良くわかるつもりです。
 こんなとき、お客様から次々とトラブルの報告が入り、じっさいのトラブル対応よりもお客様への対応に時間を費やされることが多くなると、ついつい平常心を失いそうになります。

 不幸中の幸いで、スマッチ!のトラブルの原因の目ぼしはほぼ付いているようです。私も技術的心得がありますので、できれば私が今すぐにでも助けてやりたいくらいなんですが。

 そんなスマッチ!ですが、これからも宜しくお願いいたします。







2006年8月23日 (水)

「答えてねっと」の休止が残念ですっ。





皆さん、こんにちは。ふじたやすしです。

 夏休みから無事帰還して参りました。社会復帰できるかどうか心配でしたが(笑)、なんとかやってます。
 しかし、連日暑いのなんのって。

 さて、きょうは住宅にはまったくと言っていいほど関係がないのですが(謎)、タイトルのお話について。
 マイクロソフト(日本)が運営する「答えてねっと」は、パソコン、あるいは Microsoft 製品の不具合を質問すると、マイクロソフトではなくそのユーザから答が返ってくるというスグレもののサイトでした。

 そして、質問や回答を投稿するとポイントを獲得でき、さらにそのポイントをためて懸賞に応募すると、温泉旅行などの商品が当たるチャンスもありました。
 私なぞ、1等の商品である伊豆北川温泉「望水」の宿泊チケットをゲットし、ペア用だったにもかかわらず子どもも連れて温泉をエンジョイしてきたなんてこともありました。もちろん、子ども分も無料でしたよ。

 そんなステキな「答えてねっと」が休止してしまうなんて、PC の知識をひけらかしたい(ぉぃ)、そして懸賞をゲットしたい私としては実に残念でなりません。

 ITmedia News の記事によると、マイクロソフトの側に「プロジェクトの進め方の問題」があったとのこと。う〜ん、同業者としては実に身につまされる話です。

 思えば、IBM がハードディスク、そして PC じたいの製造事業を他社に譲渡し、製造業からサービス企業への色をより強めたなんて話がありましたが、Microsoft はあくまで技術で勝負するつもりだったのでしょう。
 しかし、技術だけではプロジェクトは成功しないという事実を今回の件で皮肉にも明らかにしてしまいました。

 マンション構造計算書偽装事件だって、じっさいにマンションや家を建てるのは建築士でなく建築業者さんなのですが(そういえば、私が中学生くらいの頃「唐招提寺を建立したのは誰?」「大工さん!」というギャグがありました)、建築士の手抜きによって全てが台無しになってしまったわけです。

 このように、手足を動かす技術者がいくら優れていても計画やマネジメントがダメならそれは最終的に致命的な結果を招くということがわかります。
 私としても、こんごもよりいっそう気をつけていきたいところです。







2006年8月12日 (土)

フリーターは本当に自由か?





皆さん、こんにちは。ふじたやすしです。

 さて、きょうからしばしの独身生活が始まります。妻子が田舎に帰省し、私は5日遅れでそれを追い掛ける予定のためです。それまでの間に私を引っ張り出したいという奇特な方からの comments are welcome to the pleasuredome!!(笑

 で、表題の話。
 モトネタは【DMD】フィナンシャル ジャパン オンラインショップ DMD JAPAN スタッフブログのエントリ「社内 NEET?」経由フィナンシャル ジャパン オンラインの記事です。
 内容は、パソナグループ代表・南部靖之氏のインタビュー。

 せっかくですから、引用引用。

昔はフリーターという言葉がありませんでしたが、「プー太郎」はいました。一五年ぐらい前は「新人類」とか言っていたわけですよね。でも、よくよく考えてみると「フリーター」「新人類」「プー太郎」は、みんな自由な発想で世の中を変えてきたのも事実だと思うんです。
歴史的に見ても、藩を離れて「素浪人」になった坂本竜馬が時代を変えていったわけでしょう。
そのころ幕府で働いていた武士は今で言えば会社人間で、次第に淘汰されていったわけです。だから今だって自由なフリーターの人たちが、世の中を変えていくかもしれませんよね。
発想の自由なところには、「お金」も「人」も集まってきます。自由な発想というのは、ひょっとすればフリーターの中にあると言っても言い過ぎじゃないと思うんですよね。
大切なのは、「自分の意思で自分の人生を作る!自分で変える!」という意思力があるかないかだと思うんです。それに企業にだって「企業内フリーター」とか「企業内ニート」がいますから。


 う〜ん、「新人類」が 15 年前ですか。ちょっと正確じゃないと思うんですがねぇ。だって、15 年前と言えば '90 年代でしょ。その頃はもう既に「新人類」というコトバは死語だったと思うんですね。というのが、まさにその時代を生きてきた私じしんの Zeitgeist(時代感覚)なんですが。

 まあ、そういう細かいことはさておき、「新人類」とか「プータロー」、あるいは今の「フリーター」が本当に自由な発想のできる、そして世の中を変えられる立場にいたのかどうか。
 ズバリ、答は×(バツ)でしょう。

 まず「新人類」について言えば、そういう人たちが目立ち始めたのは '85 年の「プラザ合意」の頃からですね。ちょっとムズカシイ話をすれば、それ以降円高が急激に進んで輸出産業が打撃を受けたことにより、日本ケーザイは「円高不況」に陥ったワケです。

 そんなこんなでオジサン連中が自信を失い掛けてたときに、何の根拠も持たず、恐れも希望も持たない層として出てきたのが「新人類」ですよ。だって、私じしんがそうでしたから。
 ここでオジサンたちが黙っているワケがない。彼らはあらゆる手を用いて「新人類」を叩きにかかりましたね。で、おおよそその試みは成功し、「新人類」たちもやがては凡庸な社会人へと埋没していったんです。

 その後、こんどは打って変わって「バブル景気」が訪れました。とうぜん、「新人類」と呼ばれたやつらもそれに踊った踊った。おかしな TV ドラマもいっぱいありましたねぇ。億の借金のある青年実業家が六本木でカフェバー(爆笑)を経営したりとか、たかだかエディターくらいで都心の超高級マンションに住んでいたりとかという設定で、そりゃもうムチャクチャでした。

 でも、やがてバブルも崩壊する。そして以降は皆さんもよ〜くご存じの「失われた十年」へとまっしぐらに突入するワケです。

 そんな中で「新人類」たちが気付いたのは、自分たちはまったく新しい価値観を世に問い、そしてそれを実践することによって世の中を変えていけると思っていたのかもしれませんが、今と同じで、そういう暑苦しい意思を表示することはクールじゃないし、結局は大人たちが敷いてくれたレールに乗っかってる方が楽だということだったんですね。
 じっさいそうなんですよ。現行制度や文化とガチの勝負をするより、それらに守られていた方が楽だし。そして、ヘンにトッポく立ち回るよりも制度とか文化とかに守られていた方が実は自分が本当にやりたかったことに集中できたんですね。だって、余計なコトを考えなくて済むワケだし。

 そういう形で、プロフェッショナリズムを育てて立派な(?)「企業人」に変身した「新人類」の人も多いのではないでしょうか。

 で、そんな「新人類」から見た今の「フリーター」とか「ニート」とかって人たち。

 まあ、「新人類」だった人たちは、価値観の多様性を認める余裕はいちおうはあることになっているので、「フリーター」や「ニート」を表立って責めるつもりはありません。というか、責めようがないんですね。
 というのも、「新人類」と呼ばれた人たちと「フリーター」や「ニート」と呼ばれる人たちの間にはそもそもの接点がないんです。だから、もし表層的に「フリーター」や「ニート」のことについて触れられている新聞や雑誌といったメディアの記事を読めば、元「新人類」たちは「なんてひどい連中だ」と思うかもしれませんけども、実感が伴ってないんですね。

 それと、「フリーター」や「ニート」だって、結局は「新人類」以上の世代の大人たちが作り上げたイメージでしょう。そういう型枠にはめ込まれて「フリーター」だの「ニート」だのと呼ばれている人に坂本龍馬並みの自由闊達さはないと思うんですが、どうなんでしょうね?

 彼ら/彼女らは、今企業業績がたまたま好転していると言われていても、いわゆる「雇用のアンバランス」という状態が依然改善されてなくて、その犠牲を背負わされてる層だと思うんです。
 そういう人たちに、未来の志士みたいな期待を寄せるなんてかわいそうですよ。つーか、そんなことをしたら、本来模範を示すべき「新人類」以上の大人としてもシメシが付かないはず。

 ここはやはり、大人たちが雇用のアンバランスを改善し、あるいは多様なワークスタイルのための制度を整えることによって、就労の機会を増やすことが必要なんじゃないかと思うんですね。

 「フリーター」や「ニート」がダメで「正社員」が良いという発想はそれこそ貧弱でしょうがないと思うのですが、人手不足が叫ばれている今でこそ、彼ら/彼女らをいい意味で踊らせて、じゃなくて躍らせてあげたいと思うんです。
 そういう機会を与えずして「最近の若者はだらしない」とかと言ってるオヤジ連中にこそ、じゃああなたは若い世代に対して模範を示せているのか?と小一時間問い詰めたい気分ですね。これは多分に私が経験してきたことへの反省もあります。同じ思いはさせたくないな、と。

 アプリオリに自由な発想を持った人なんてのは、放っておいたって大成しますよ。問題はそうじゃない。私と同じで、本当は凡庸な人たち。
 我々「新人類」世代が、そういう人たちに対し職務意識とかモチベーションとかといったあたりで模範を示せてなかったとしたら、今からでも遅くはないと思います。我々がやろうとしてもできなかったこと、つまり「世の中を変えること」にそろそろ再び取り組み始めてもいいんじゃないかと。







2006年8月 7日 (月)

転職は「身勝手」なのか?





皆さん、こんにちは。ふじたやすしです。

 さて、きょうは日経新聞朝刊の社会面にあった「サラリーマン 第 598 話」を読んで感じたことを書くこととします。
 ネットで探しても記事が見つからなかったので、以下に紙面から引用します。

 この春、彼女の退社話が降ってわいた。近畿日本ツーリスト人事部イベント・コンベンションビジネススクール所長、本多美直さん(43)と彼女は、半年前まで東京都内の支店で机を並べた間柄。笑顔を絶やさず、てきぱきと仕事をこなし、酒のつきあいも申し分なかった。本多さんの異動後の職場に原因があるのなら、上司に掛け合うつもりだった。

「決めたんです」

 だが、開口一番、本多さんは耳を疑った。
 「仕事は楽しいし、不満は全然ありません。でも、ほかに追いかけたい夢があるんです」。海外で貿易業を営む親類の元で働くのだという。
 「ここで辞めたら入社してから二年間の頑張りが無駄になるし、お得意先を裏切ることにもなるんじゃないか」
 「おまえの抜けた穴を誰かが埋めなければならなくなるんだぞ」
 本多さんは感情を抑え、遠回しな言葉で身勝手さや無責任さを分かってもらおうとしたが、無駄だった。悪びれた様子もなく「決めたんです」と言われ、「自分の好きなように頑張ってくれ」と別れるしかなかった。
 支店の上司や先輩らは今後の事情説明も兼ねて得意先に頭を下げて回った。後釜の手当てがつかず、四カ月たった今も支店は「欠員一」のままだ。
 「円満退社」と思っているのは当の本人だけ。社会人としての常識があれば、突然の退社が周りにどれだけの迷惑を掛けるのかぐらい想像できるはずなのに……。
 済んだことなので忘れたいが、人事担当の性(さが)か、本多さんは嫌でも思い出し、自問自答する。「ひょっとして、最近の若いやつらの就職意識はあんなものなのか?」

 ちょっと引用が長くなってしまいましたが、なんて時代錯誤な記事なんだろうと思いましたね。日経よ、血迷ったか?と。

 そもそも、「彼女」の評価要因が、

  • 机を並べた間柄

  • 笑顔を絶やさず

  • てきぱきと仕事をこなし

  • 酒のつきあいも申し分なかった



というところだけでは、「彼女」がかわいそう過ぎます。「本多さん」は、本当に彼女の業務スキル、あるいは彼女が業務をこなす上でもたらしていたかもしれない経済的バリューというものをちゃんと評価できていたのでしょうか。いや、おそらくそうではないでしょう。
 もしちゃんと評価できていたのなら、たとえ勤続二年という年数でもどんどん重要な役割に徴用できていたはずです。それをせずして「彼女」の「職場のマスコット」的な魅力に甘えていたとしたら、実に虫のいい話とせざるを得ないでしょう。引用の最後の「最近の若いやつら」というところにそれが端的に現れています。「若いやつ」には能力は要らん、若さとイキの良さだけで立ち居振舞えという主義主張が垣間見える気がします。

 私は「本多さん」とほぼ同年代ですが、「本多さん」の「若いやつら」への考え方には、極端に言えば実に薄気味悪いものを感じますね。「二年間の頑張り」がどの程度のものかを量る術はないのですが、二年やって成果が得られなければ他に移るという判断はいたって正常だと考えます。いや、期間としては二年でも長過ぎるくらいです。
 私だったら、新卒の諸君に対しては、入社1年目で成果を出せないようであれば、どこか他に移ることを考えた方がいいよとアドバイスするでしょう。それとも、これは残酷なのでしょうか?

 また、「彼女」が辞めてしまった後の対応も実にまずいものがあります。なぜいつまで経っても「欠員一」なのでしょう?それは、人事の無能さを象徴していると言えませんか?有能な従業員の慰留に失敗し、なおかつ即座に交代要員を手配できないとは人事スキルの無さも甚だしいとすべきです。そういったあたりの当然あるべき職務を全うせず、いつまでも去った人を惜しんでいるなんて実に格好悪いです。いや、格好どうこうよりも、そもそも人事が人事として機能してないという点で、組織じたいに構造的な問題を抱えているとせざるを得ないでしょう。

 ただ、この記事は、企業の人事制度がどんどんドライになり、リストラを盾にした人員削減が盛んに行われるような社会において、逆にウェットな人事制度(いや、制度なんて言えるかどうかはわかりませんが)を採用しているところでも痛しかゆしなんだよ、ということをもしかしたら主張したかったのかもしれません。

 でも、なんだか腑に落ちないですね。個人の身勝手をどうこうする前に、組織の身勝手が改められるべきという考えは誤りなのでしょうか。
 企業不正が多く報道される今の世の中で、いまだそこまでして企業に忠誠を強いる仕組みとはいったい何なのでしょうか。







2006年7月 1日 (土)

給与明細公開します!?!?





皆さん、こんにちは。ふじたやすしです。

 さて、アルファブロガー小飼弾さんのエントリで知ったのですが、なんとエンジニアの給与明細が公開されてるんですね。
 同じエンジニアとしては、実に身につまされる話です。
 他人の給与明細とは、住宅ローンを今後支払っていく予定の私としても実に興味のある事柄なのですが、やはりどうしても私はこの記事を読んで、エンジニアという職務にいる人が会社でどんな立場に置かれているかが実感として伝わってきます。
 例えば、こんなあたり。

 浅田さん(仮名)の会社では、2 年連続で一定以上の評価を得られれば次の年には資格がアップし、給与に反映する仕組みを取っている。評価は上長の課長クラスの人が行い、面談で通知される。評価には個人の業績を反映するとはいうものの、部署内の評価分布率は決まっており、面談で自己アピールしたからといって見直されることはない。面談は「上司に説得されて納得する場でしかない」と浅田さんは少々不満げだ。


私にもこういう時期はありました。いや、基本的に今でも変わっていません。

 ただ、もし仮に短期、例えば四半期ごとの評価制度があったとして、それが果たして企業人事の事務処理能力で追っつくことができるのか、あるいは短期・長期は別として、評価をする側(上の例では「課長クラスの人」)が評価を下せるだけの能力をそもそも持っているのか、というあたりが問題になります。
 結局、上司が評価を下す制度の下では、常日頃から上司のご機嫌取りに腐心し、普通なら大して気の進むはずのない付き合い残業や飲みやなんかに進んでコミットするようなヤツが好評価を得るということも多々あるに違いありません。

 あるいは、場合によっては売上にどれだけ貢献したかを数値的に捕捉する方法もあるかもしれませんが、営業職ならともかく、研究・開発タスクが多い技術者の場合その業績が売上という数字に結びついてくるまでにはずいぶん時間が掛かるのが常です。あのノーベル賞の田中耕一さんもそうだったのですから。

 問題は、そういう地道な研究・開発業務について理解のある管理職または経営者がどれくらいいるか、というあたりなのでしょう。
 でも、彼らマネジメント層は、経済誌や何かで得た上っ面だけの半可通な知識を盾に、コストを減らせ!工期を短縮しろ!なぜこんなに人を投入しているのに早くできないんだ!と部下を叱咤激励、じゃなくて罵倒している場合がほとんどなんじゃないでしょうか。

 そう言えば、冒頭で紹介した小飼弾さんのエントリの中で『人月の神話—狼人間を撃つ銀の弾はない』の話がされていましたが、こと技術の世界においては、「人が足りない」という問題に直面したときにじゃあ追加人員を投入すれば生産性が向上するのかと言えば必ずしもそうでないことは一つの真理のように言われ続けています。なぜなら、知識を伝達するための時間や手間が掛かってしまい、それが結局は生産性の低下を招くという問題が厳然と存在するためです。

 そりゃそうでしょうね。これまで研究・開発に集中していた人が突然不得手な教育業務に時間を割かれるとしたら、生産性が落ちてしまうのは仕方がありません。あるいは、新しく入ってくる側も、「即戦力」を期待されているとはいえイキナリ新しい現場に投入されたら、技術よりも何よりもまずその組織の「文化」みたいなものから習得していかなければならないのです。
 まったく、くそくらえたいへんだなぁという気分にさせられます。

 IT 社会と呼ばれて久しくなります。ノウハウの伝達も、あるいは人事考課も IT の力を借りて体系的に行える余地が出てきました。でもまだまだ「最後は人知だ」という根強い信仰のようなものが企業の現場にあるのは間違いありません。むろん、それも一面的には正しいのですが、人知はときとして過ちを犯すという事実から目を背けている点では正しいとは言えません。
 どうか、私も技術者の一人として、研究・開発職が社会的に正当な評価を得られるようになってくれればなぁと切望するものです。そうすれば、若い人たちが技術職を志す場合も増えてくるのではないでしょうか。







2006年6月17日 (土)

住宅ローンの審査に通りました!





皆さん、こんにちは。ふじたやすしです。

 えーっと、何だか以前にまったく同じタイトルのエントリを書いた気がするのですが・・・。
 ですが、今回は以下のような経緯があったワケです。


そんなこんながあって、きょうのこのエントリの報告につながります。

 結果を言えば、某 SMBC さん(ぜんぜん「某」になってないですね。笑)から審査通過を知らせる封書が届いたのが今週初めの頃のことでした。これで、手付没収という悲劇(?)を迎えるおそれはとりあえずなくなりました。
 しかも 1% マイナスの優遇金利つきですよ、奥さん!

 でも、これもちょっとだけ紆余曲折があったんですね。
 審査通過を知らせる書面に目を通したところ、なんと、申込日の年月が 2006 年 2 月となってたんです。おい、ちゃうやんけ!ということで、早速不動産会社の担当者さんに詰問確認したところ、やはり銀行側のミスだったことが判明しました。

 まあ、ありがちなミスだとは思うのですが、おそらく他のドキュメントを使い回して作成した書面だったのでしょう。でも、顧客にいたずらに不安を抱かせたという点ではちょっと看過できないミスかもしれません。
 だって、それを繰り返していると、もしかしたら他の人の分の書面を使い回して、間違って元の人の個人情報を掲載したまま発行してしまうなんてこともあり得なくはないのですから。

 私も、仕事におけるプレゼンなどの場面で、うっかりドキュメントの日付が古かったりしたときは赤っ恥でごわすという気分になりますが、こと住宅ローンなどの場合はときとして人の一生涯を左右する問題になるんですから、本当に注意を払っていただきたいと思いましたとさ。



2006年6月11日 (日)

「シンドラーのリスト」と公共事業入札制度





皆さん、こんにちは。ふじたやすしです。

 前々回のエントリの続きです。


国交省がシンドラー社を聴取…スイス本部は“責任回避”に終始 - SANSPO.COM

 東京都港区のエレベーター死亡事故で国土交通省は9日、製造元の「シンドラーエレベータ」幹部を国交省に呼び、同社が設置したエレベーターのリスト“シンドラーのリスト”の提出を受け、保守管理の状況などについて事情を聴いた。

 痛ましい事故の原因とされているシンドラー社のエレベーター。そのシンドラー社は、価格の安さで国内の公共事業への参入度合いが高かったとも言われています。
 そういえば、先日高校生が亡くなったのも港区立のマンションでのことでした。

 公共事業に関しては、以下のような記事もあります。


随意契約7割削減へ・政府方針 - NIKKEI NET

 中央省庁など政府機関が所管公益法人や天下り先企業と結んだ契約のうち、競争入札を原則とする国の会計原則から逸脱した随意契約が、2005 年度で 2 兆 1699 億円に達することが国の緊急調査で明らかになった。政府は防衛装備品のライセンス契約など独占的な契約が必要なものを除き、7 割を競争入札などに移行させる方針。


 公共事業において、以前から「不透明」「参入障壁」との批判の声が高かった随意契約を改め、競争入札に移行するという方針は大いに歓迎されることだと思います。
 しかし、シンドラー社のような事例があると、その流れも後退しかねません。

 とはいえ、問題は参入業者の側にあると言うよりも、むしろチェック機能を行使する行政の側にあるとすべきでしょう。これからは、アセスメント(評価)を細部の項目に渡ってきちんとできる技官の存在が必要なのは言うまでもありません。
 にもかかわらず、これまで各省庁のキャリアは文系出身の人材で固められてきた。そうしたところが、国内の公共事業、ひいては産業全体のチェック機能の歪みへと波及したと言えなくもなさそうです。

 私も技術者の一人として、公共事業の監督業務において、技術者が責任ある立場に就くことがいかに重要かをここで説いておきたいと思います。
 それが履行されれば、シンドラー社のような不正な業者の参入も阻め、尊い命が失われることもなかったかもしれないのですから。




2006年6月 4日 (日)

犠牲が出ないと動かない行政





皆さん、こんにちは。ふじたやすしです。

 さて、きょうは実に痛ましいニュースについての話です。

エレベーター事故:トラブル頻発、数カ月前から 怒る住民 - MSN 毎日インタラクティブ

 「トラブルばかりでおかしいと思っていた」。都立高2年、市川大輔君(16)がエレベーターに挟まれて死亡した東京・港区のマンションは、数カ月前から突然止まるなどたびたびトラブルを起こしていた。しかし、運営している区に報告が来たのは3日夜、死亡事故が起きた後だった。住民たちは安全なはずのエレベータでの事故に不安と怒りを口々にぶつけた。

 将来のある少年が、自宅マンションのエレベータに挟まれて命を失ったこの事故のニュースを見聞きし、非常に悲しい思いにとらわれました。

 冒頭の記事によると、このマンションは東京都港区が開設したものだそうですが、たった築8年しか経っていないにもかかわらず、今年初めの冬の頃からエレベータの不具合について住民による指摘があったとのことです。
 その上でも、十分な対策が講じられないまま、点検の度に「異常なし」の張り紙がされていたと言います。

 点検が不十分だったということは、悲痛にも、犠牲者の市川くんが自らの命をもって証明する格好になってしまいました。そして、その不具合がやっと港区に報告されたのが市川くんの死亡後であったと。

 まったく、やりきれない気分にさせられます。

 重大な交通事故などでもそうですが、実際に人が犠牲にならないと行政が動かないケースが多々あります。今回の死亡事件もその最たるものの一つとすべきでしょう。
 よく、民営化論議などの際に「経済偏重」を危惧する人たちを見ますが、こういう過ちを犯し続ける行政の方が本当に信頼に足るのかどうか、ということをちゃんと考えた方がよさそうです。


2006年6月 3日 (土)

編集の河内さんを「Web 人」にノミネートしました!





皆さん、こんにちは。ふじたやすしです。

 さて、皆さんは「Web クリエーション・アウォード」という賞をご存知でしょうか。
 この賞は、Web 広告研究会が年に一回、「Web の世界に貢献した『Web 人』」を選出し、贈呈されるものです。
 昨年は、(株)はてな近藤社長ビーコンコミュニケーションズ(株)29man こと渡辺英輝さんといった「その世界」では今やビッグネームとなっている方々が受賞しました。

 6/1 より、今年分の候補者の推薦期間がスタートしています。「Web 人」になるためにはまず推薦されることが必要ですが、最終的に受賞に至るまでには、これまでの Web における実績評価も加味されます。

 そこで、私はこのスマッチ!blog で頼りにさせていただいている我らのオーガナイザーでナイスガイの河内純也さんを推薦させていただきました
 我らスマッチ!ブロガーは、河内さんには陰日なたとなっていただいて本当にお世話になっています。そういうご努力はどこかで讃えられるべきというのは私にとって必然でした。

 むろん、河内さんの他にもスマッチ!のサイトの中で斬新なアイディアを次々に形にしてきた素晴らしいスタッフの方々がいることを我々は良く知っています。
 ただし、スマッチ!ブロガーの一人である私としては、そうしたスマッチ!コンテンツをレペゼン(?)する人はと言えば、やっぱりいつも直接・間接にお世話になっている河内さんしかないという結論に至りました。

 もし他のスタッフを推したいという方がおられましたら、ぜひとも「Web クリエーション・アウォード」のページにて早々に推薦されることをお勧めします。



2006年5月27日 (土)

あ〜、面倒くせぇ!





皆さん、こんにちは。ふじたやすしです。

 さてさて、早いもので転職後1ヶ月が経とうとしています。
 再転職にあたりローンの申し込みをし直すということは以前にも書いたかと思いますが、給与明細や健康保険証のコピーの提出以外に大事なシゴトがありました。

 それは、ローン申請書の書き直しです。

 住宅ローンだけでなく、各種ローンの申請書を書いたことのある方ならわかるかと思いますが、これが面倒臭いのなんのって。
 勤務先の所属部署やら規模(資本金、売上高、ほか)やらとか、一昨年の年収とかまで記入しなくてはいけないので、非常にやっかいです。

 幸い、会社のデータは自社公開ウェブサイトから得られましたし、そして年収については、わが愚妻が一昨年度分の源泉徴収票を取っておいてくれたので事なきを得ましたが、これとて探し出すのにえらい苦労しました。仮にもしそれを取っておいてないとしたら、当てずっぽうの数字を書くしかないんでしょうか??

 でもって、自社のウェブサイトはデータが古いんですよね。2005 年度中間期末のデータが載っていました。こういうところはちゃんと更新しておかないと、「紺屋の白袴」になってしまいます。
 まだまだ、企業のウェブ・プレゼンスへの関心は低いようです。Web 技術者の私としても、これはなんとかしなければならないと思いますね。

 上司に、ベストセラーの『ウェブ進化論』でも読ませようかしらん。(笑



2006年4月11日 (火)

技術はよりフレンドリーに





皆さん、こんにちは。ふじたやすしです。

 さて、先のエントリでまたしても転職するかもという話を書きましたが、きょうは新しい勤務先で着手する予定の業務内容も踏まえ、私のシゴトである技術の話にお付き合いください。
 ただし、不動産ご購入をお考えの方にとってはちょっと退屈かもしれません。
 次の勤務先では、中堅・中小企業(含む外資系)向けの ERP システムの構築・導入を行う予定です。
 ERP システムとはよく「統合業務パッケージ」と訳されますが、企業における基幹業務、具体的には受発注、生産・販売・在庫管理、財務会計、人事などの業務を統合的に扱えるようにするためのソフトウェア・パッケージ・システムです。ERP を用いることによって、基幹業務全体を連携させ、効率的な企業経営を実現できるというのが大方の ERP ソフトウェアの宣伝文句になっています。
 たしかに、売上の遷移を元に生産や在庫、あるいは人員の調整を行ったり、さらには次期予算の策定などが行えれば便利ですよね。

 ERP とは、実は新しい概念などではなく、1990 年代にはかなりの企業がそれを導入しました。しかし、実際には導入の効果はそれほど出なかったと言われています。
 その理由としては、当時はパソコンやインターネットなどがやっとポピュラーになり始めた頃で、パソコンを端末として使う ERP システムの操作性じたいにエンドユーザ、つまり企業担当者の皆さんが不慣れだったという点が多分に考えられます。
 あるいは、ERP を動かすにあたっては、従来紙ベースや手計算でやっていた業務を ERP に(データとして)落とし込む作業が必要なのですが、もしかしたらその段階でくじけてしまったのかもしれません。
 しかし、そこでエンドユーザのコンピュータを使いこなす能力、すなわち「リテラシ」の欠如を責めるのは誤りです。

 実は、企業における基幹業務情報システムの歴史は意外に古く、世界的に見ると、早いところでは 1960 年代くらいからそれを取り入れている企業もありました。
 そこでの主役は大型コンピュータや日本で言う「オフコン」で、エンドユーザは、表示と入力の機能しか持たない「端末機」を用いて日々データを入力し、そのデータが夜間バッチ処理を通じて計算され、翌朝までには集計帳票として出力されるという仕組みでした。

 翻って現代では、大型コンピュータやオフコンはデータベースやファイルなどのサーバに、そして端末機はパソコンに取って代わられるようになりました。帳票だって、一晩置かずともパソコンから要求すればすぐに取り出せるようになりました。

 しかし、大型コンピュータ+端末機に慣れた世代の人にとって、パソコンとは実に扱いづらい代物でした。
 今でこそ笑い話で済ませられるかもしれませんが、「マウスって何?」という時代があったのは間違いありません。
 そういう時期と ERP システムの市場へのデビューの時期とはほぼ重なっていたと言ってもいいでしょう。情報システム導入の決裁権限を持つ企業の重役がパソコンに拒否反応を示し始めた頃での ERP のデビューは、いささかタイミングが悪かったのかもしれません。

 でも、21 世紀の現代においては、パソコンもかなり市場に浸透し、企業の重役たちの間でも電子メールなどをはじめとしてパソコンがバリバリ使われるケースが多く出てきました。
 とはいえ、一般的なパソコンには通常一台のそれに複数のソフトウェアがインストールされていて、各々のソフトウェアによって操作感も多少なりに異なるため、重役たちのみならずパソコンに慣れた若い人たちにとっても不便を感じられるときが多々あるかもしれません。
 ささいな問題のように思われますが、こうした細かいことの積み重ねが企業全体の生産性に及ぼす影響は実は計り知れないものがあります。

 今、「Web 2.0」という言葉をあちこちで目に、あるいは耳にします。この Web 2.0 というのは、情報システムにおける業務処理の大部分をインターネット(ウェブ)の「向こう側」、つまりネットワークとサーバ・コンピュータに委ねてしまう仕組みであると私は考えています。
 ということは、いろんなソフトウェアがゴテゴテとインストールされているパソコンの時代から、大型コンピュータ+端末機時代への回帰が起きていると言えなくもないんですね。
 そうすると、ウェブの操作性はより優れたものが求められます。ここで言う「優れた」というのは、見た目的に優れているのは言うまでもなく、操作性が自然(ナチュラル)であるという条件が必須になります。

 私は大型コンピュータの時代の業務用ソフトウェアはほとんど忘れてしまったのですが、当時はマウスが存在しなかったことを考えれば、それだけシンプルで入力のしやすい画面構成がなされていただろうと考えることができます。
 具体的な例を挙げれば、Enter キーを押せば入力項目をどんどん先に進めることができ、最後に [送信] キーを押すことによってはじめてデータが送信されるといったような仕組みです。

 しかし、今のウェブ・システムは、そこまでの配慮がされているものはいまだ少数派です。入力の途中で間違えて Enter キーを押そうものなら、データがその時点の内容で送信されてしまうといったケースはよくあります。
 そこで、「和人」さんが提案されている、Enter キーでフォーカスを移動するような仕組みは優れた利便性をもたらすんですね。
 こういうノウハウがインターネット上で得られることについて、私はインターネットの発展に寄与された人々、そして「和人」さんのようにアイディアを惜しみなく提供してくださる人々には心からの敬意を表します。
 エンドユーザの皆さんからすれば大したことでないように思われるかもしれませんが、こうした小さなところに技術者が知力を注いでいるということも忘れないでいただけるとありがたいです。まさに「神は細部に宿り給ふ」というところでしょうか。

 このようなノウハウがあれば、ERP だって Web 2.0 よろしくすべてをウェブで構築することも可能になってきます。重たくて容量を食うクライアント・ソフトウェアをパソコンにインストールする必要もなくなります。
 Web 2.0 とは、今まではコンシューマ(一般消費者)向けのサービスについてそれが語られる場合が多かったのですが、企業のエンドユーザとて普段はコンシューマであり、家庭と職場で共通の操作感で業務が行えるのであればそれに越したことはないはずです。

 そういうシステムを作ることによって、企業社会の業務効率化に寄与できたらな、と矜持を新たにしているところです。



2006年4月 8日 (土)

なんと、またしても転職か!?





皆さん、こんにちは。ふじたやすしです。

 さて、まずきょうは IT 系ニュースサイト記事の引用から。


IT エンジニアの転職の理由,そしてその背景にある健全な意欲 - NikkeiBP IT Pro

 私の知人でしょっちゅう転職する人がいる。中堅の独立系システム・インテグレータで IT エンジニアとしてのキャリアをスタートさせ,一通り仕事を覚えた 30 代前半に,それなりに名の通った外資系ソフト・ベンダーに転職。

(中略)

 P・F・ドラッカーは著書「経営者の条件」で次のように書いている。「組織は,優秀な人たちがいるから成果をあげるのではない。組織は,組織の水準や習慣や気風によって,自己開発を動機づけるから,優秀な人たちをもつことになる。そして,そのような組織の水準や文化や気風は,一人一人の人間が自ら成果をあげるエグゼクティブとなるべく,目的意識をもって体系的に,かつ焦点を絞って自己訓練に努めるからこそ生まれてくる」。さもありなん,である。
 転職は相応に大きな負担だ。転職を繰り返す生き方が幸せかどうかは分からない。ただ好意的に解釈するに,その知人は自分を高めたいという健全な意欲に正直に従った結果,たまたま転職を繰り返すことになった,ということなのだろう。
 その転職の多さが周囲からマイナス点として評価されるかもしれない。ただそうした周囲の評価はともかく,自分の感覚に正直に生きることは,幸せな生き方に必要な“要件”であることは間違いない。

 まさしく、私が転職したときの気持ちを痛快なくらいに代弁してくれている記事だと思いました。

 そうなんです。自己をより高めるためには転職という選択肢しかない場合もあるんです。
 とくに昨今の企業社会において、各企業がコスト削減のために教育投資を抑えがちな状況では、なおいっそうその傾向は強まってきていると言えるのではないでしょうか。
 いくら「自分で新しいノウハウを現場から吸収しろ」と上司から言われても、日常の業務に忙殺されている中ではそれも叶わないことでしょうし。
 だったら、新しいところでイチからやり直した方が効率的で吸収も早いかもしれません。

 ところが、転職者に対する世間の目は以前は非常に厳しいものがありました。「持続性がない」「こらえ性でない」と散々に言われ続けたものです。
 とはいえ、今のビジネス社会において「持続性」や「こらえ性」が以前ほど重要視されなくなってきていると言えなくはないでしょうか。

 過去の企業社会においては、数年掛けて着手するプロジェクトはなんら珍しいものでなく、むしろ多数派ですらあったかもしれません。
 しかし、とくに私が属している IT 業界では、半年あるいはそれ未満の期間のプロジェクトは多数あり、それらをこなしていく中では常に起こり得る「変化」への柔軟かつ迅速な対応が求められます。その対応の方法を誤ればプロジェクトのエンドは不透明になり、お客様、あるいはプロジェクトメンバーの不満は高まる一方となってしまいます。
 そして、そのプロジェクトが完了すれば、すぐさま次のプロジェクトに取り掛からねばなりません。

 つまり、スピード感が今と昔ではまったく違うと言えると思います。そしてまた、業種ごとのそれも千差万別と言えるのではないでしょうか。

 ただ、住宅ローンの審査においては、依然その基準は一律的に勤続年数に重きが置かれているのが現状です。ここまで人材が流動化し、かつ個々のビジネス・プロジェクトの期間が短縮されているにもかかわらず、です。
 さらには、企業というものの安定性が以前ほど信用できるものでなくなってきているのもまた事実です。いくら景気が上向いてきたとはいえ、1年後に会社は倒産しているかもしれないのですから。

 住宅ローンの審査の現状が企業人事の実際とかけ離れていることについて、私は忸怩(じくじ)たるものを覚えざるを得ません。

 ということで、タイトルで既にお気付きかもしれませんが、実はまた転職することになりそうなんですね。
 こんどは自分で探したのではなく、いわゆる「引き抜き」によるものです。住宅ローンのことがありますのでずっと断り続けてきたのですが、敵(?)の熱意に根負けしてしまいました。

 さあ、せっかく審査の通った住宅ローンはどうなってしまうのでしょう!?ただでさえ転職者に厳しい住宅ローンが果たして借りられるのか!?

 この件については、この blog でこんごもできるだけタイムリーに報告していくつもりです。どうか皆さん、応援してください。(笑



2006年3月 8日 (水)

プロ意識の欠如にゴルァ!してみる





皆さん、こんにちは。ふじたやすしです。

 さて、また耐震強度偽装が発覚したようですね。

札幌のマンション5棟で耐震偽装・28 棟にも疑い - NIKKEI NET

 札幌市と国土交通省は 7 日、同市内のマンション 5 棟が耐震強度を偽装され、ほかの 28 棟についても偽装の疑いがあると発表した。いずれも札幌市に住む浅沼良一・2 級建築士 (47) が構造計算をし、地震の横揺れに耐える力(保有水平耐力)を水増ししていたことを認めたという。一連の耐震偽装問題で姉歯秀次・元 1 級建築士 (48) 以外で偽装を認めたのは初めて。


 今朝見たニュースでは、この浅沼2級建築士は、「建築士としての信念に基づき」偽装を行ったそうです。
 あのう、そういうのって「確信犯」と言うんじゃありませんか!?
 そもそも、建築士って公的に認められたプロフェッショナルですよね。プロフェッショナルって、難しい試験をパスしたり、数多くの現場経験を積んできた人だけがなれるモンじゃあないですか。
 で、そういう資格や経験がわれわれ一般市民からの信頼の尺度になってるワケでしょ。

 それにもかかわらず「信念」というコトバを持ち出してくるとは、要は資格や経験でカバーできない部分は「信念」でカバーするとおっしゃりたいようです。まるで論理がとっちらかっちゃっていますね。
 ちょっと前まであった、いや、今でもあるのかな、何か困難にぶつかるとむやみに根性論を振りかざす不条理さにも似たものがあります。

 だいたい、責任ある職務に就くために必要な難しい資格の取得を目指す場合、その資格を取った者として倫理的にどう行動すべきかというあたりを試験問題で問われるものです。私は建築士試験を受けたことがないので詳細はわかりませんが、おおよそ例外ではないと思っています。
 これは今の企業社会でも「コンプライアンス」と呼ばれていて、各社が血道を挙げてその順守に努めているところですよね。

 そういう努力を踏みにじるような今回の態度は、まったくもって世の中をナメているとしか私には思えません。まず法を守った上で技量の限りを尽くし、技量の及ばないことがあるときは及ばないなりに粛々と努力研鑽すべきなんじゃないでしょうか。

 姉歯事件のときにもありましたが、今回の事件も「コンピュータ・プログラムに合わせるために偽装を行った」という話もあるそうです。お客さんが頼りにしているのはコンピュータなんかじゃなくって、資格と能力を持ったはずの生身の人間、すなわちプロフェッショナルとしての建築士のはずなんですがねぇ。

 もう、こういうえせプロフェッショナルに対しては、なりふり構わず「ボンクラ」だの「無能」だのいかなる言葉を浴びせても罵倒したい気分になります。建築業界に留まらず、他の様々な製造業界で真面目にコトに当たっているプロフェッショナルたちに対して実に失礼な話だと思いませんか?

 ということで、ちょっとオコってみました。見苦しいところがあった場合はご容赦を。


2006年2月 9日 (木)

Web 2.0 的サンギョー論





皆さん、こんにちは。ふじたやすしです。

 さて、きょうは Tech Mom from Silicon Valley さんのエントリを読んで思ったことを書いてみます。
 え、これが住宅と何の関係があるかって?まあ、それは読み進んでいただければ。
 エントリでは、IT 企業が雇用を創出しないことに問題があると書かれています。このあたりは、現状を見る限りでは私も同意できる部分ですし、また、お笑いケーザイ学士(何)である私の立場において、「企業の社会的責務は、景気の高揚と雇用の促進である」と習ってきた身としては、雇用の創出ができない IT 企業が未だ社会的に「産業」の主要なメンバーとして認められてないという点はなんとなく感じているつもりでもあります。

 まあ、20 世紀の終わり頃は、IT は人減らしの道具として用いられるのではという漠然とした危機感が世の中全体にあったのは間違いなく、そういう意味では雇用に対しマイナスの効果を今仮にもたらしているとすれば、皮肉にも前世紀の先人たちの予言は当たったということになります。

 でも現在、IT 関連のいろいろなメディア、あるいは経済紙なんてものも含めて見てみると、IT 業界は深刻な人手不足にあるという論調がこと賑やかなんですね。とくに来年には「2007 年問題」なんていう恐怖の大魔王(何)も来るらしく、優秀な IT 人材の不足はより深刻さを増すと言われています。

 つまり、これは言い方を変えれば、IT 企業あるいは IT 産業は、雇用をより確保すべき条件を存分に満たしているにもかかわらず、効率的な雇用が行えていないということになります。
 そして、その問題の先をたどっていくと、IT 産業の「雇用能力」が既成産業に比べて劣るのではないかという観測ができます。

 それはしかし、雇用の現代史というものを考えてみる必要があるかもしれません。
 高度経済成長期の企業は、「金の卵」と呼ばれた若者たちをゼロから一人前に育て上げる確固とした教育制度を自社内に抱えていました。しかし、現在の大方の IT 企業、とくに新興企業でそうした制度を備えているところはごくわずかに過ぎず、多くの IT 企業が OJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)に頼っているのが現状です。

 こういう状況は、IT 産業の今まさに現場にいる私としても実に強く感じます。私の部下にも、若くてバリバリと仕事をこなす IT エンジニアはいっぱいいるにもかかわらず、人手が足りない状況は恒常化しています。まあ、そこには私のマネジメントの問題も多少はあるのかもしれませんが、紺屋の白袴とでも言いましょうか、ちょっとした細かいこと、例えば交通費の精算や勤怠・残業の管理といった社内手続きがいかにもお粗末で、一部は今だに紙ベースだったりもするのです。
 明確な根拠を指摘することはできないのですが、こういうごく一部に残るレガシーなビジネス事務慣行が、本業たる IT 業務に微妙な影を落としていると考えるのもあながち間違いではないと思っています。

 少し話を戻してみますと、IT が人減らしの道具として用いられるのではという危機感には、有名なテーラーの「科学的管理法」に対して人々が感じた脅威に似た背景があるのかもしれません。ストップウォッチを用いて細かな測定を行うという監視的側面がことさら強調されたこともある「テーラリズム」は、人間性の排除につながるという抵抗を招いたこともありました。
 しかし、科学的管理法は、最終的には業務の効率化と生産性の向上をもたらし、それが不当に非効率的で時間と手間の掛かっていた労働から人々を解放するという功績をもたらしたのです。

 今の IT に対する人々の意識は、「情報化社会」と呼ばれて既に久しくなった現在においてさえ、今だ「テーラリズム」への脅威と同じ意識から脱却できてないのではないでしょうか。おそらくレガシーな経営者の皆さんの間でも IT の必要性、あるいは便益というものは十分に認識・理解されているはずにもかかわらず、です。しかしながら、IT 産業じたいがその要望に応えられるだけの社会的ポテンシャルを未だ有していないのです。

 これまでは、IT 産業は「歴史が浅いから」という言い訳が通じる世界でした。しかし、世の中のあらゆる手続きが IT 化されようとしている中で、その社会的重要度はより重きを増しています。
 私がマンション購入を決断するにあたっても、もしネットで入手できるだけの情報が得られなかったとしたら、おそらくマンションを購入することすら考えなかったでしょう。

 そして、これからは「Web 2.0」の時代であると言われています。Web 2.0 については現時点でいろんな解釈があるようですが、私の解釈としては、中央に大きな処理単位(例えば Google や Yahoo! など)があり、ネットを通じて人々、すなわちエンドユーザに対しサービスが広く提供され、かつエンドユーザは自身の好きなようにそのサービスをアレンジ(カスタマイズ)できる仕組みだと思っています。
 そういう中では、ひょっとすると中央の処理単位だけでなく、エンドユーザの便益をカスタマイズする部分においてまた新たな雇用の必要性が創出される可能性だって期待できるかもしれないのです。
 そんなときに、企業が人材に求める要素と、逆に被用者が企業に求める要素とをきちんとすり合わせられれば、昨今問題になっている雇用のミスマッチという問題も解消されます。
 転職経験者としては、これはけっこう切実な願望ですね。

 ただし、そうしたミスマッチを解消するために欠かせないのは、企業の側が「オープン」であるべきという点です。これができないと、例えば企業人事の場合では企業の求める要件がわからなかったり、あるいは住宅購入の場においても、ひょっとすると建築偽装があるんじゃないかという購入(予定)者の不安を払拭することが叶わなくなります。これは、製品やサービスを提供する側/される側の双方にとって不幸な事態と言わざるを得ません。

 最後に、Web 2.0 のもう一つの特徴として、膨大なデータベース・データにオープンな仕組みでアクセスできること挙げておきます。どうか、企業がオープンに振舞うことによって、様々な機会や便益が人々に広くもたらされるといいな、と思います。



2006年1月11日 (水)

2007 年問題について





皆さん、こんにちは。ふじたやすしです。

 さて、エコノミストの木村剛氏(ご本人は「エコノミスト」とは呼ばれたくないそうですが)の blog「週刊!木村剛」の記事を読み、タイトルの「2007 年問題」について考えてみました。

 2007 年問題というのは、いわゆる団塊世代の人たちがその年に大量に定年退職を迎えることにより、日本の産業界の人材層が急激に薄くなることへの不安を表したものです。
 木村氏は、しかし、冒頭の記事の中で、2007 年問題をむしろ団塊世代による大量消費時代のスタートとする「2007 年チャンス」と捉えるべきだと提案しています。また、同じ記事の中で、団塊の世代の人たちの中に果たしてそれほどたくさんの優れたビジネスパーソンがいたのだろうか?と疑問を呈するエントリも紹介されています。

 まず、順番を逆にして、団塊世代の中に優秀な人はたくさんいたのだろうか?という点から考えてみます。

 ここで、集団の中で優れた能力を持つ層とそうでない役立たずの層とが一定の割合でいると仮定します。すると、団塊世代の人たちは絶対的な数が多いので、優れた人も多いだろうと推察することができます。
 とはいえ、その理屈で行けば優れてない人も同時にたくさん存在することは間違いありません。

 ただし、私が思うのは、団塊世代の人たちはその能力のいかんを問わず、会社への帰属意識が非常に強かったのではないかということです。そしてそれは、彼らが属していた頃の企業組織で実施されていた終身雇用、年功序列、労働組合といった諸制度に支えられていたものでした。

 もし機会があるなら、彼らが 2007 年に引退してしまう前にいちど一緒に飲みに行ってみてください。酔いが回ってくるとほぼ間違いなく「オレがいなけりゃ会社はツブれる」と言うはずです。(笑
 まあ、本当に会社がツブれるかどうかは別としても、会社への帰属意識は、職務に対する責任感、あるいはミッション・ステートメントというものを育むに十分だったに違いありません。そういうミッション・ステートメントがこれまでの産業社会/企業社会を支えてきたのです。

 翻って、私の世代は、1980 年代には「新人類」と揶揄され、団塊の世代の先輩方からは「何を考えているかわからない」と言われ続けてきたものでした。
 実は、わが新人類世代も団塊の世代と共通するところがあります。それは、バブル景気による大量採用により、同世代の職業人が今でも産業界にあふれているということです。さらに新人類世代は男女雇用機会均等法の施行を経てその恩恵を受けたため、きちんと統計を取ったわけではないのですが、女性の有職者数がそれまでの世代に比べて極めて多いことも特徴的であると思われます。
 我々も、将来には「2025 年問題」などと言われるのでしょうか。せいぜいそうやって惜しまれるよう、ビジネススキルの修得にこれからでもいっそう励まないといけませんね。

 して、団塊世代の消費について。
 先にも書いたように、終身雇用に守られていた団塊世代の職業人たちは、今後は退職金や年金といった豊かなキャッシュを手にすることになります。もちろん、この Smatch! のテーマである住宅の購入意欲も旺盛なことが考えられるでしょう。

 しかし、これから引退する人たちがどの地域で消費に励むか、という点は看過できないと思います。都市部に集中していた人たちが果たして故郷に戻ったり、あるいはIターンよろしく見知らぬ地で暮らすことがあるのでしょうか。これまで団塊世代の人たちは、「会社人間」というエクスキューズの下に地域社会に積極的に関わることをしてこなかった印象がありますが、今後彼らが地域社会に果たすべき役割が大きくなってくるのは間違いありません。
 仮にもし今後も会社人間時代のクセが抜けないのなら、もう雇ってくれない既成の会社は置いておいて、自身で起業するという道もあるでしょう。そういうときは、ぜひとも地域経済の振興と雇用の促進を考えてやっていただきたいものです。本当はもっとシゴトをしたかったのに会社の規則で退職せざるを得なかった、しかし、職業年齢と実際の年齢とは関係ないと思っている、そんな人は、ぜひともそれを自らの手で証明して欲しいと思います。

 私も 40 歳で転職をし、年齢というものに対する産業社会の評価の冷たさに閉口した経験の持ち主です。そういう私にとって、団塊の世代の人たちの今後のあり方は、とても他人事とは思えません。


2005年12月24日 (土)

偽装は海を越える





皆さん、こんにちは。ふじたやすしです。クリスマス・イブ、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

 さて、住宅とは関係ないのですが、海外からはヒトクローン ES 細胞の研究発表論文が捏造だったという報道が。

ES細胞論文は「捏造」 ソウル大中間報告 - FujiSankei Business i.

 韓国ソウル大の黄禹錫(フアンウソク)教授によるヒトクローン胚から作った胚(はい)性幹細胞(ES細胞)をめぐる疑惑で、ソウル大調査委員会は二十三日、「論文はでっち上げ」と結論付けるとともに「科学の基盤を傷つける重大な行為」と批判した。

 黄教授の最初のヒトクローン胚ES細胞作成をめぐる論文や、クローン犬の論文も捏造(ねつぞう)の可能性があり、調査委はさらに詳細な検証作業を進めている。

 黄氏は、論文捏造の責を取ってソウル大の教授職を辞任したとのこと。ですので、以降は黄元教授と書かないといけませんね。

 ヒトクローン ES 細胞の研究は、治癒が困難とされている疾患(内臓疾患を含む)の治療にも応用できるということで非常に注目されていた技術でした。しかし、今回の黄元教授の論文捏造により、ES 細胞という研究分野そのものが後退するのではないかという懸念が既に世界中から示されています。

 世界的な研究課題と比較するのはおこがましいのですが、これは、マンションの構造計算書偽装事件にも通じるものがあると考えます。偽装事件は、そのせいですべてのマンションが危ないのではないか?という不安感を人々に与えるに十分でした。
 いや、おこがましいなんて言ってはいけませんね。どっちも生存にかかる問題と言えるかもしれないのですから。

 今回の論文捏造事件を韓国の人々の国民性と結びつけて捉えるむきもあるようですが、私はちょっとそれは別の問題だと考えます。不正を暴いたのも、そしてそれを証明したのもほかならぬ韓国の人たちなのですから。
 ただし、姉葉氏同様、黄元教授が「偽装」を繰り返すことによってそれに味を占めていたところはひょっとしたらあったのかもしれません。

 交通事故で半身不随となった少年が黄元教授に直接会ったときに、元教授が「キミの身体は元通りになる」と約束したというエピソードもあるそうですが、それを聞くといたたまれない気持ちになります。同様に、マンションだってなけなしのお金をはたいて買ったそれを構造不良のために追い出されるというのは聞くに堪えない話です。

 21 世紀はじめの今の日本はバブル期以来のマンションブームと言われているそうです。また、黄元教授も、自然科学系のノーベル賞受賞を叫ばれるほど、韓国国民の期待は熱いものがありました。
 そうした狂乱が当事者たちを過ちへ追い込んだと思いたくはありませんが、やはり過度な期待は禁物なようです。

 それでは、happy holidays!


2005年12月 8日 (木)

住宅需要冷え込みの懸念





みなさん、こんにちは。ふじたやすしです。

 さて、構造計算書偽造事件にからみ、気になるニュースを見つけましたので、きょうはそれについて考えてみることとします。

マンション耐震強度偽造 道内市場へ影響心配 業者「買い控えないが…」 - 北海道新聞

 首都圏などに広がるマンション耐震強度偽造問題は、大型物件の建設が続く札幌市中心部など、道内のマンション販売への影響を心配する声が出ている。道内の不動産業者は「今のところ買い控えはない」と口をそろえるが、今後の展開次第では購入意欲も減退し、マンション需要の冷え込みも懸念される。各業者は物件の耐震性など、入居者や購入検討者への説明に追われている。

(中略)

 ただ「姉歯物件」の偽装を見逃した民間検査機関最大手の日本ERI(東京)は、道内でも相当数の物件を手がけている。マンション業界に対する信頼性の低下と、札幌市で来年三月に導入予定の建物の高さ制限が「ダブルパンチ」(大手業者)という。「購入予定者の心理的な影響を避けるため、行政は必要な手だてを講じた上で、早急に安全宣言を出すべきだ」(三菱地所)との要望も出ている。



 住宅建設が盛んなのは首都圏だけでなく北海道も同じなようですが、やはり、住宅の買い控えを懸念する声があるとのことです。
 実は私のところにも、購入するマンションの業者から一枚のレターが届き、そこには「本マンションは姉歯建築設計事務所とはいっさいの関係はありません」という主旨の文言が記されていました。やはり、不安払拭に懸命なようです。

 仮に、例えば震災などによってマンションが倒壊し、最悪の場合生命の危険にさらされた場合でも「それはその時や」という考えの人がもしいたとしても(そんな人はいるのか?)、退去命令によってせっかくの住居を追い出されるとしたらたまったものではありません。まさに、生存権を脅かされていると言えるでしょう。

 こうした形で生存権を脅かされること、そして、住宅産業という一大産業が危機に瀕するかもしれないこと、そういったことをどれくらいの人が想像し得たでしょうか。
 これは、建築士、民間検査機関、販売会社、建設事業者、そしてもちろん不幸にもそういう物件を掴まされた人たちだけに限った問題ではないと言えます。

 例えば、検査を民営化させたことが本当に正しかったのか?といった議論が既にあり、これは現政権が進めている郵政民営化にも微妙な影を落とす問題となることが考えられます。さらに民間検査機関について触れれば、それが都合のよい天下り先となっていたという批判もあります。

 先のエントリでも書きましたが、やはり日本国内における産業構造の全体的な見直しが必要なようです。そしてそれは小手先でもって制度をイジればどうにかなるというものではなく、産業、つまりモノづくりの基本に立ち返った見直し作業が必要に違いありません。
 おそらく政府や監督官庁としても頭の痛い問題ではあることでしょう。しかし、日本の産業の危機の傷口をこれ以上広げないためにも、今回の件には厳正に対処して欲しいものです。

【追記】
 webdog のエントリにトラックバックさせていただきます。耐震強度偽装問題が今後の名目成長率を押し下げるという観測が紹介されています。



2005年11月27日 (日)

いいシゴトしてないなぁ





皆さん、こんにちは。ふじたやすしです。

 さて、昨日 11/26 に続いてのエントリでは、現在 Smatch! のお題になっている「構造計算書偽造事件」について考えてみたいと思います。

 まず、イキナリ結論から始めてみますと、今回の事件は日本の産業構造の弱体化を如実に表していると私は思うのです。
 モノづくりの世界においては、Plan-Do-See-Check-Action という言い古されたサイクルに諮るまでもなく、チェック機能というものが欠かせません。それは私が所属しているソフトウェアの世界においても同じです。つまり、いかにエラーを出さないか、あるいはいかにエラーの元を根絶するかを、初期工程から運用段階においてまで常に気を配ります。
 私たちの業務領域では、エラーを出すことはいわば「恥」のようなものでした。したがって、それを根絶したり、あるいは予防したりという努力はしごく当然のように行われていました。また、そうした努力が最終的には顧客満足に結びつくという共通の理解があったようにも思われます。

 私の場合もそうですが、ソフトウェアの「職人」たちにとっては、自分たちが作り出したモノを使うお客様が喜ぶ顔を見ることが直接的に次なるモノづくりへのモチベーションへとつながっていました。しかしながら、産業における生産拠点の流出は、そうしたプロ意識を持った国内の職人たちにとって居心地の悪いものとなってしまいました。
 モノづくりの機会が、中国やインドといった人件費の安い地域に流れ、「元」職人たちは外国のエンジニア・チームをマネジメントすることに骨を折らされるとすれば、シゴトの喜びを味わう意義に乏しくなることは避けられないでしょう。それは、中国やインドの技術者たちにとっても同じです。彼らは、日本国内のエンドユーザ、つまり本当の意味でのお客様が自分たちの「作品」に対して抱く印象を直接的に感じ取る術を持ちません。
 そうした中で製造、コントロールの双方の現場のモチベーションが低下するという危機的状況を招いているのです。

 構造計算書偽造事件についても、顧客満足を基本に置いたチェック機能が働いていれば問題は避けられたと私は考えます。おそらく事件の真相は今後さらに明らかになってくると思われますが、現時点で感じられるのは、モノづくりに携わっていた関係者たちのプロ意識の乏しさです。彼らは事件が発覚した後でも、他者、あるいは外的な経済要因に責を求めることに終始するコメントを重ねています。そうした有様を見るにつけ、私はうんざりするような気分になります。
 彼らは本当に、人が生きていく上で欠かせない衣食住にかかる「一生の買い物」をするお客様を念頭に置いたシゴトをしていたのでしょうか?彼らに「こういう粗相をして恥ずかしい」という意識はあるのでしょうか?チェック機能は実際問題として正常に機能していたのでしょうか?

 今回の事件は、一部では「氷山の一角」とも言われています。つまり、こうしたことがこんごも次々と発覚する可能性を現時点で否定できないということです。マンション購入を決めた私としても到底安心できるものでないという気がしています。
 日本の産業界は、今回の事件をきっかけとして今いちど顧客満足というモノづくりの基本に立ち返り、専門家や企業だけでなく政府や所轄官庁、自治体なども本来のプロ意識の醸成に向けた施策を検討・実施すべきであると考えます。


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ふじたやすし

ふじたやすし

昭和40年生まれ。妻および小学生の子ども一人を持つ一家のオヤジ。社会人になって以来一貫してIT畑を歩む。40歳になった2005年に、人生ン回目の転職を敢行。しかも、マンション購入に踏み切る事態に……。


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